歌をやろうと決めてから、まず取り組んだのは、オーディション。
東京のある大手芸能事務所のオーディションを受けに行きました。
1次審査は書類、これをクリア。
2次審査は面接、面接会場は複数あって、全部で何人の人が受けているのかは把握できませんが、私が行った会場には200人ほどいました。5人1組で面接を行い、内容は質問をいくつかと、私の場合は歌手志望だったので、得意な歌のサビだけをアカペラでこの場で歌え、というものでした。私はすぐに秦基博さんの水彩の月のサビを歌いました。数日後、2次審査通過の通知。ここもクリア。
最終審査は、ちゃんとしたスタジオでのレコーディング。課題曲があり、男性はスキマスイッチの奏、女性は…すいません、覚えていません。
奏をとにかく練習して、いざ最終審査会へ。
初めてのスタジオ、初めてのレコーディング。右も左も分からないまま、とにかく練習の成果を出せるように懸命に歌いました。
そして2週間後。通知が来ました。
「最終審査、通過したことをご報告いたします…」
!!!!!!!!!
受かったーーーーーーー!!!!!!!!!!!
家族で大喜びしました!
お祝いもしてもらいました!

そして、契約や説明を受けるため、もう一度東京の2次審査をした会場に行き、簡単な説明を受け、資料を貰い、連れていかれたのはレッスンスクール。
その建物内は、ダンス、演技、ボーカル、楽器等、様々な部門に分かれていて、どの部屋からも緊張感がピリピリと感じる場所でした。
そこで改めて詳しい説明を受けました。

ざっくり言いますね。
レッスン受ける日は自由に設定できる、先生たちは名だたる人ばかり、芽が出ればすぐ上の階級へいける、入校費40万、月謝4万、宣材写真費30万、歌の仕事は自分で見つけてこい、金は自分で稼げ、保障などなし。
説明を聞きながら理解するのが大変だったので、とりあえず家族と相談して後日改めて連絡すると伝え、帰ることにしました。
東京駅で新幹線を待っていた時、偶然にも2次審査で一緒だったメンバーに遭遇。
その人も資料や契約書を持っていたので、お互いどんな感じだったかを話しました。
すると衝撃の事実が。
実力や将来性などがあるなし関係なく、ほとんどの人が合格していた。全員をスクールに入れるための「オーディション商法」だったようです。
あまりのショックに言葉が出ませんでした。
帰りの新幹線でボーっとしながら、やっぱり東京で歌をやるには実力もだけど運とか金とかも必要か、とりあえず金も無理だし、歌の仕事探して生活のための仕事もして、なんて到底自分にはできるものではないな。と思いました。
そんな中、先を走っていた新幹線が人身事故だかなんだかがあったようで、乗っていた新幹線が途中で止まり、動かなくなりました。
最終の新幹線だったため、このままだと家に着くのが夜中~朝方になってしまう。早く動いてくれー。
そんな思いも空しく、二戸駅に着いたのは予定よりも2時間遅い夜中1時。
そこから久慈市まで1時間ほどだけど、吹雪、路面凍結のため運転もノロノロ。
運までないのかーーーーーー!!!と車で叫びました。
帰宅したのは朝3時。
ショックだったこともあり眠いを通り越して疲労ハイになってしまい、結局寝れず。
みんなが起きてきたので、全員が揃ったところで事情を説明。
とても残念がっていました。
次の日、私の担当をしてくれた方に電話をし、丁寧にお断りしました。



2ヶ月ほど経ったある日、仕事から帰ってきた父から「盛岡に芸能事務所あるぞ、連絡してみたらどうだ?」と言われました。
なに!?県内に芸能事務所なんてあったのか!!と母と嫁とビックリしたのを覚えています。

後日、連絡をしたら、すぐ来て直接歌を聴かせてほしいと言われたので、その週の末に面接へ。
盛岡市に行き、公会堂の2階が面接場所。
社長さんと事務の方2人がいて、そこでいくつかの質問を受け、2人の前で1曲アカペラでフルで歌いました。
そして、とりあえず合格、ということで話が進んでいきました。
何か聞きたいことはあるかと言われたので、自分が発達障害であること、薬を服用していること、発達障害の説明と、自分が苦手としていることなど、私自身の詳細を話しました。
最後まで話を聞いてくださり、障害について質問などもしてもらいながら話しました。
それでも大丈夫、ペースに合わせてあげるから、と言っていただき、お金の相談もして、家族と話し合い、ここで頑張ってみようという結論になり、次の月からレッスンを受けることになりました。
私はボーカルレッスンだけ受けることになり、ほかの生徒の人はダンスレッスンなども並行して受講していたようです。

なんとか歌手になるための道を見つけることができ、ホッとしました。
発声練習など基礎を学び、自分ができること+好きなことだったこともあり、どんどん吸収して成長していくのが自分でも分かりました。
そして、なにより先生が教えるのがとにかく上手い!!
分かりやすいし、覚えやすい!!
先生も発達障害について少し知識があり、特性を分かってもらったうえで教えてくれたので、更に成長することができました。


初めてのステージは、北上さくらホール。
生徒さんたちが練習の成果を発表できるステージ。
私はアカペラで森山直太朗さんの愛し君へを歌いました。
大勢のお客様、静かなステージ。
歌い始めると緊張もどこかへ飛んでいき、気持ちよく歌うことができました。


その後、実力を認めてもらい、社長がいろんなところに連れて行ってくれて、たくさんの人を紹介してもらい、いろんなところで歌わせていただき、たくさんの経験をすることができました。


1年半ほど過ぎ、独立を決め、フリーになった私。

その後の話は次の記事へ。